上野駅 - Wikipedia
上野駅 | |
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うえの - Ueno | |
所在地 | |
(JR柸毡?) (柧━幞去?) | |
乗換 | () |
上野駅(うえのえき)は、七丁目および三丁目にある、(JR柸毡荆?(柧━幞去恚─韦扦ⅳ搿?/p>
概要[]
当駅は、の鉄道黎明期に日本初のであるが、上野 - 間の第一区線開業時に合わせて、柧┫骂倍摔紊较骂藮京方の起点駅として開業した歴史ある駅である。以来、日本を代表するとして栄えてきた。
現在、当駅にはとを結ぶJR各線のとを走る各(JR柸毡?柧━幞去恚└骶?Y節し、また柋薄⑸?信越方面の各、その他在来線各線のが発着するなど、柧─巍副堡涡v口」として機能している。
乗り入れ路線[]
当駅には、JR柸毡兢韦雀骶?ⅳ瑜訓京メトロの路線が乗り入れている。
JR柸毡?/span>[]
このうち、JR柸毡兢涡聨志?稀⒕?访粕悉悉韦撙扦ⅳ?sup id="cite_ref-teishajo_1-0" class="reference">が(詳細は路線記事および「」参照)、柋毙聨志?U由で、、、の各新幹線が乗り入れている。
JR柸毡兢卧诶淳?碎vしても、線路名称上はのみであるが、以下のように多岐にわたる各線が乗り入れている。
上記のうち、宇都宮線、高崎線、常磐線は現在、当駅を運転系統の起点としており、方面へは山手線と京浜柋本?韦撙\行されている。しかし、の上野~柧╅gが開通間近(2015年現在)で、これら3系統の路線が柋北揪?伪纠搐纹鸬悚扦ⅳ霒京駅に乗り入れ、さらに(系統路線名)に直通する予定である。
宇都宮線と高崎線が同じ線路を共有しているほかは、原則として各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。ただし、9番線は宇都宮?高崎線と常磐線が線路を共有している。
JR柸毡竟渐单ぅ趣摔朴涊dされている当駅の「所属路線」は、京浜柋本?⒊E?成田線、常磐線、高崎線、柋北揪?⑸绞志?⑶锾镄聨志?⑸显叫聨志?北新幹線、長野新幹線、山形新幹線の11路線となっている。
柧━幞去?/span>[]
柧━幞去恧悉趣?路線が乗り入れており、それぞれ「G 16」「H 17」のが与えられている。
歴史[]
は、上野 - 間の開業に先立ち、(15年)11月にの跡約29,800(約98,512m?)をより借り受け、上野駅の用地とした。(明治16年)には同線の仮開業に伴い上野駅を開設し、同年8月より貨物、10月よりの取り扱いを始めた。(明治17年)には仮駅舎で開業式が行われ、(明治18年)に造りの237坪(約783m?)の本駅舎が竣工した。この初代駅舎はが設計、が監督を行い、中央の部分に広場と、両翼にを設置したH型平面の構造で、当時のやを踏襲した形となっている。
1885年に途中からに至る区間(渡河区間を除く)が開通すると、上野駅は柧﹤趣韦趣筏品笔ⅳ工毪瑜Δ摔胜盲俊5背酩?つの駅構内に旅客?貨物?車両基地の機能を併設しており、次第に鉄道輸送の需要が伸びてくると構内が手狭になってきた。また駅周辺の道路が狭隘で、ここに旅客を輸送するや貨物を輸送するが輻輳するようになったため、ことが計画された。(明治23年)には南方に地上のを開通させ、新たに設置された秋葉原貨物取扱所(後の)に貨物取扱を移転した。さらに(明治29年)12月25日に開業したにも荒荷の扱いなどを分散移転して、上野駅は同年12月1日に旅客専用駅となった。(明治33年)には日本鉄道が駅前広場に飲食店、喫茶店、雑貨販売店の入った上野待合店を建設している。これは110坪(約364m?)2階建ての建物で、後に理髪店なども入居したが、(11年)に撤去された。
(明治38年)にの - 間が開通し、それまでで折り返して運転していた常磐線の列車が直接上野駅へ乗り入れるようになった。同年には新橋 - 上野間の高架旅客線の建設とそれに伴う上野駅の改築が決議されている。(明治39年)には日本鉄道の国有化に伴い、上野駅も国有化され、(明治42年)10月には秋葉原 - 上野 - 青森間がと定められた。同年にはの烏森(後の) - - - - 田端 - 上野間で電車の運転が開始され、上野駅はその一方の端となった。
このような状況下で上野駅の利用者は増加を続け、(大正6年)には構内にが9棟、が10棟、その他などが44棟も立ち並び、スペースが限界に近づいていた。(大正12年)のでは初代駅舎が消失し、同月に仮駅舎で営業が再開した。同年からは柧└牧际聞账摔瑜晟弦榜k周辺の改良工事が始まり、(大正14年)には新橋駅との間の高架旅客線が開通して山手線の環状運転が始まり、柧─味际心诮煌à扦ⅳ胪?坞娷嚖取北?常磐?高崎といった長距離の幹線との接続する駅として機能するようになった。
(5年)にが行われて改築工事が始まり、(昭和7年)に2代目の駅舎が落成し、同月より営業を開始した。この駅舎では利用者の安全に配慮した動線設計がなされ、乗車客は1階のから列車ホームに、降車客は地下1階の車寄せに出るようになった。外壁はとの砕石が入った塗りで、臍壁にはが用いられている。また、構造上の大きな特徴として、本屋の中央に設置した30×20.3×13.25mの広間空間が挙げられる。この空間は正面玄関の機能を持ち、2階部には業務エリアの移動のための回廊が設けられていた。また、秋葉原の貨物取扱設備が高架上に移転したのを受け、栁鹘煌à蛘诙悉工毪胜嗓螁栴}を引き起こしていた地上の貨物線は1932年に廃止されている。
年表[]
駅構造[]
JR柸毡?/span>[]
JR 上野駅 | |
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うえの - Ueno | |
所在地 | 七丁目1-1 |
(JR柸毡荆?/td> | |
ウエ←ウヱ | |
駅構造 | (新幹線) ?(在来線) |
2面4線(新幹線) 6面12線(在来線?高架) 3面5線(在来線?地上) | |
乗車人員 -統計年度- | 181,880人/日(降車客含まず) -2013年- |
開業年月日 | (16年) |
乗入路線 10 路線 | |
所属路線 | ■ ■ ■ ■ ■() |
キロ程 | 3.6km(起点) |
所属路線 | ■ (■直通含む) |
キロ程 | 3.6km(起点) |
所属路線 | ■ ■ |
キロ程 | 3.6km(起点) から26.7km |
所属路線 | ■■ |
キロ程 | から2.2km |
備考 | 有 ?駅 |
中央改札上には、1951年展示の作の『自由』が掲げられており、当駅を代表する光景ともなっている(昭和26年12月製作、昭和59年6月修復、平成14年12月修復)。その下には式が設置されているが、新幹線開業前は、柋?奥羽?磐越西線は緑(杜の都?仙台をイメージ)、高崎?上越線は黄(越後平野の稲穂をイメージ)、高崎?信越線はピンク(信州のりんごをイメージ)、常磐線は青(太平洋の海をイメージ)、柋毙聨志?_業時に設定された「」はクリーム色と、方面別に色分けされた木製の発車案内板が使用され、ホームにも後から幕式の発車標が設置されていた。
グランドコンコースの中央改札内には、作の『つばさの像』、改札外広小路口には同じく朝倉作の『三相』がある。『つばさの像』は1958年10月10日に初の柋碧丶薄袱悉膜辍惯\転開始と駅開業75周年を記念して台柷馁洡筏郡猡韦恰⒌背酩蠋谛÷房冥嗽O置された。『三相』は、1958年10月10日に駅開業75周年記念式に列席した朝倉が駅が朝倉自身と誕生を同じくしていることを知り、深く喜懌になり、記念に台柷蛲à纲洡椁欷郡猡韦恰⑷啶趣现⑶椁瑜右猡扦ⅳ搿¥蓼俊⑷瘔訖C上壁面には、原画?制作のステンドグラス『ふる里日本の華』(昭和60年春)が展示されている。これは柋鄙显叫聨志?弦榜k開業を記念して制作された。豊かな水と緑を背景に四季折々の美しさを屏風絵ふうに配し、沿線各地の代表的な花?まつり?風物をあしらいふる里への思いを表現した、きわめて日本的なモチーフと構成に特徴がある。2002年6月駅改修に伴い現在の場所に移設された。
期に設計による地上300mの超高層駅ビルに建て替える構想があったが、その後のと柋?上越新幹線の延伸による乗降客の減少などから、現在は立ち消えになっている。
のとの、および樺太庁鉄道(後の)のは当駅を模したとされる。
は、地上と、公園口通路、大連絡橋通路、大連絡橋連絡通路(公園口通路と大連絡橋通路を連絡する)(以上3階)、新幹線地下コンコース(地下)がある。新幹線コンコースに行くには、地上の中央改札を入って右側の新幹線改札を利用する。
は、中央改札(地上)、不忍改札(中2階)、公園改札、入谷改札(以上3階)の計4か所である。また改札内改札として特急乗換(16?17番線入出場)改札が地上および3階にそれぞれある。
出口は、地上の中央改札正面の「広小路口」「正面玄関口」や同左手の「浅草口」、中2階の不忍改札からは地上の「不忍口」「山下口」、3階の入谷改札からは2階の「柹弦翱凇埂?階の「パンダ橋口」、地上の「入谷口」などが利用できる。同じく3階の公園改札からは3階の「公園口」に直結していて、へはここを利用するのが近い。
正面玄関口および広小路口の出口からは、(日光街道)などを跨ぐ歩道橋が利用できる。また、駅を跨ぐようにパンダ橋が架かっており、自由に歩くことができる。パンダ像は2つあり、実物の倍の大きさはある巨大な像はパンダ橋口を出て右のところに、もう一つの小パンダ像は大連絡橋コンコースに、それぞれある。
のへは不忍口を経るように案内サインが設置されているが、地下鉄駅構内および京成線連絡通路で両駅が屋内?地下経由でつながっていることはあまり強調されていない。JRと京成線の連絡は、?で北側に2駅進んだが通常利用されている。ただし、上野駅との両駅を連絡駅とした定期券を購入することはできる。
在来線のトイレは、13番線ホーム(地上)、3?4番線ホームへの階段と5?6番線ホームへの階段との間(中2階コンコース)、9?10番線ホームと11?12番線ホームとを連絡する箇所(2階)、大連絡橋通路(2か所、3階)、の計5か所である。
、上野中央通り地下および周辺8駅(JR上野駅?御徒町駅、柧━幞去砩弦榜k??、、都営)を結ぶ地下通路がにより整備され、供用開始された。これらの駅とは、同一駅としては認められていない。ただし、柧━幞去砩弦榜k、は定期券の連絡駅としては認められている。
新幹線開業以降JR駅内部の改装工事が始まり、後半には改札内部に「上野」(駅ナカ)が完成した。その後、JR柸毡茎攻譬`ションルネッサンス「みんなのえきプロジェクト」と称して中央改札?不忍改札側の駅舎内部も改装され、栁髯杂赏罚◥鄢疲?b>パンダ橋)や正面玄関「館」の「Breakステーションギャラリー」、中央改札の「グランドコンコース」、ショッピングセンター「七番街(上野)」などが整備され、2002年3月にグランドオープンした。同年2月22日開店のアトレ上野は「FUSION SQUARE 人が集まるeki融合空間」をコンセプトに駅周辺にない飲食?食物販?ファッション?雑貨など54店舗を「レトロ館?ガレリア」「グランドコンコース」および「七番街」の3ゾーンに配置し、20 - 39歳の女性をターゲットに新たなエキナカショッピングシーンを演出している。その後、4月から9月にかけてリニューアル工事を行い、「ゴディバ」「日本橋屋長兵衛」「アール?エフ?ワン」「」「ジンズ グローバル スタンダード」「サマンサタバサ プチチョイス」のオープンと既存9ショップの改装を行った。また、は、同年8月に浅草口地下でカフェ?雑貨ショップなどを配置した新フロア「レトロゲート」を開設した。9月にはフロアリニューアルを行い、グランドオープンした。そして、2005年春に全体のリニューアル工事が完成し、全面が白で統一された外観となり、の整備も行われた。完工時には「上野駅リニューアルキャンペーン」が開催され、JR柸毡兢违ぅ岍`ジキャラクターであり、このイベントのにも登場した女優のを招いてのオープニングセレモニーが行われた。この大改装はやなどで展開されている、いわゆる「駅ナカ」の模範となっている。
柋?上越新幹線の開業に伴い並行在来線の特急列車が大方廃止され、地上ホームの19?20番線が廃止となり、9月には18番線も廃止された。その跡地と柹弦翱?入谷口には、から()が入居している。
柋?上越新幹線開業前は、都内の北へのターミナル駅として、??方面へ向かう、、、、、、、、、、の各?など長距離優等列車が数多く発着していた。しかし、新幹線開業のため並行在来線の優等列車は次第に廃止、地上ホームも削減され、その削減された跡地が新幹線ホームに向かうコンコースとなった。その後はが増発され、発着列車の大半が、、の北関柗矫妞叵颏?中距離電車となっている。
当初、高架ホームは各列車主体に使用され、高架ホームを発着する柋?上信越方面各列車はごく一部であった。逆に地平ホームを発着する列車は皆無で、地平ホームは柋?上信越方面各列車の専用ホームであった。その後、特急?急行列車の増発に伴って、また、中距離通勤客の増加に伴い、地平ホームは特急中心で、高架ホームは各線普通列車中心で運用されるようになり、2013年現在はとの普通列車は5 - 8番線の高架ホームと13 - 15番線の地平ホームのいずれかに発着し、の普通列車とは9 - 12番線に発着するのが基本であるが、9番線に到着する?列車、地平ホームに到着する常磐線普通列車もわずかに存在する。
と以外のは、新幹線開業時に幕式から式のものに置き換えられた(新幹線は当初からLED式、は1990年頃設置)。また、新幹線ホームは2007年3月にLED式に置き換えられた。また、導入後は全ホームに発車標が設置され、放送もATOSに準じたものに変更されている。また、8月には5 - 17番線の先発列車発車標に路線名が表示される仕様になった。2014年11月から上野柧━楗ぅ螭藢潖辘工毪郡帷? - 10番線コンコース階とホーム内に設置していた1段式の発車標は、2段式(コンコース階は3段式)の新型に置き換えられた。同時に発車標の案内が「路線名 種別 グリーン車?車両数?ドア数 発車時刻 行先」の順から「始発路線名 種別 発車時刻 行先 グリーン車?車両数」に変更している。
乗車案内として、下り新幹線ホームの19?20番線に、LED式乗車位置案内表示器が設置されている。
新幹線ホームにおける地下水の上昇とその対策[]
、周辺地域でを汲み上げ過ぎたためにが発生し、周辺の地下水利用が制限されている。地下30mに位置する新幹線ホーム周辺の地下水は、建設前である1970年代初めは地下38mであり、新幹線ホームより8m下にあった。しかし、前述のように地下水が余剰となったことで水位が上昇し続け、1995年に地下14mまで水位が上昇した。浮き上がりによる駅構造の変形を防ぐため、同年に新幹線ホームの床下に合計3万7000トンものを設置した。さらに、2004年には地下12mまで水位が上昇したことを受け、全長17mのを約650本打ち込んだ。これは、柧kの総武快速線?横須賀線ホームに打ち込んだ本数の約5倍となる。
のりば[]
同一駅に3種類のホームがある。
- 高架ホーム
- 1 - 12番線(????)
- 緩斜面に建設された一部の6面12線の。
- と、の列車が当駅に到着する際、「高いホーム」または「高架ホーム」と呼称される。
- コンコースとのアクセスになるおよびの一部は、9?10/11?12番線ホームを貫いて、直接13/14?15番線ホームに向かう。
- の案内は、中距離列車が青■、が緑■で表記されている。一部列車を除き、基本的に案内の色と同じ色の列車がホームに入線する。
- 当駅に到着する際の?の車内におけるのラインカラーは、■青色となっている。
- 地平ホーム
- 13 - 17番線(??)
- にある3面5線ので、ヨーロッパのターミナル駅の風情を漂わせている。
- 到着の際は「低いホーム」または「地平ホーム」と呼称される。16?17番線は特急専用ホームで、主に特急「ひたち」が発着する。有人の中間改札口があり、乗車券?特急券?入場券の検札を行う。13 - 15番線は主に宇都宮線?高崎線普通列車が発着する他、13番線は寝台特急「カシオペア」「北斗星」「あけぼの」の出発ホームとなっている。この他、常磐線の普通列車も到着扱いが1本だけある。到着後はとなるため、発車はない。
- 13番線には、寝台列車待ちの際に休憩所として利用できる「五つ星広場」がある(後述)。
- かつて、地平ホームには18 - 20番線が存在し、柋?上越新幹線開業までは当駅を始発終着とするが多数発着していた。その後、新幹線の開業に伴い並行在来線の優等列車は削減、廃止されていき、柋?上越新幹線の上野延伸(1985年3月14日開業)に伴い、まず20番線(1980年5月31日廃止)が、続いて19番線(1983年7月1日廃止)が廃止となり、柋?秋田?山形?上越?長野の全新幹線が開業(1997年)した2年後には18番線(1999年9月11日廃止)も廃止された。2011年現在、旧18番線の寄りにはわずかながら線路跡が残る。
- 「北斗星」などの客車列車の場合、機関車の付け替えができないため、車両基地であるとの間は機関車を後部にした状態で回送運転する。「」を参照。
- 当駅折り返しの??中距離電車は当駅に到着し、乗客降車後に車内清掃を行う。またこれらの列車では2013年(平成25年)12月1日より通年、始発から15時までに発車する列車は、となっている。また、当駅に平日18時台に到着するでは整列乗車を行っている。
- 新幹線ホーム改札の隣の旧18番線には、寝台特急「」に使用されているの模型モックアップが置かれていたが、2012年12月24日をもって撤去された。また、旧18番線ホームの壁面には、ヒノキアスナロ(アオモリヒバ)による青森ねぶたのレリーフ(デザイン : 高桑エリカ、彫刻監修 : 高橋清)がある。
- 現在の番線になったのは8月29日の事で、前日までは現在の13番線が0番線、同14番線が11番線、同15番線が12番線という順に、かつての20番線が17番線だった。
- 新幹線地下ホーム
- 19 - 22番線(柋?山形?秋田?上越?長野新幹線)
- 5階にある2面4線のホーム。通過線はなく、可動式ホーム柵も設置されていないため、通過列車は減速する。
- 上下線で番線をある程度明確に割り振ってはいるが、上野始発の下り新幹線はのみだが全ホームを使用する。この他に、発の臨時列車が19?22番線で定期列車を待避する場合がある。1997年9月30日までは一部の定期列車と大部分の臨時列車が当駅始発?終着だった。また、北側に行くと新幹線のがある(在来線でいうと京浜柋本?紊现欣?- 田端間に隣接)。
- また、新幹線ホームの一層上階コンコース南方に、喫煙コーナーがある。
番線 | 路線 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|
在来線 高架ホーム | |||
1 | ■ | ??方面 | |
2 | ■(内回り) | ??方面 | |
3 | ■(外回り) | ??方面 | |
4 | ■ | 柧?品川?方面 | |
5 - 8 | ■ | 大宮???方面 | |
■? | 大宮???方面 | ||
9?10 | ■ | ??方面 | 23時12分発の行は11番線から発車 |
11?12 | ■? | ??方面 | 4時30分発の取手行は9番線、7時45分発の成田行は10番線から発車 |
在来線 地平ホーム | |||
13 - 15 | ■宇都宮線 | 大宮?小山?宇都宮?黒磯方面 | |
■? | 大宮?熊谷?高崎?前橋方面 | ||
■高崎線特急「」「」「スワローあかぎ」 | 14?15番線から発車 | ||
■寝台特急「」「」「」 | 13番線から発車 | ||
16?17 | ■常磐線特急「」 | ||
新幹線 地下ホーム | |||
19?20 | 柋?山形?秋田新幹線 | ?????方面 | |
上越?長野新幹線 | ??方面 | ||
21?22 | 新幹線 | 行 |
なお、上野柧━楗ぅ螭伍_業後は、5番線が品川方面から直通の宇都宮線?高崎線、6番線が品川方面から直通の常磐線(中電および常磐線快速電車)、7番線が大宮方面から直通の柡5谰??番線が品川方面から直通の常磐線特急列車、9番線が常磐線からの品川行きという割り当てとなる。10?11?12番線は柧┓矫妞乜帳椁骸⒁Aき常磐線の上野駅折り返し用となる。
配線[]
在来線の駅から北方向には、西から順に、京浜柋本?壬绞志?畏较騽e(山手線が内側)、柋北揪?熊嚲?ㄓ疃紝m線?高崎線)の複々線(手前の出?入庫部の先まで高架ホーム発が外側、地上ホーム発が内側の方向別)、常磐線の複線の計10本の線路が並行する。このうち、柋北揪?熊嚲?瘸E途?椁细呒堀郓`ム、地平ホームのほぼすべてへの発着が可能である。このため、シングルスリップスイッチやダブルスリップスイッチを用いた複雑な配線となっている。常磐線の高架線と地平線の分岐?合流点は隣の鶯谷駅付近となるが、これは1968年に立体交差化されたものである。
南方向には京浜柋本?⑸绞志?窝}々線に加えてその杺趣肆糁镁?氦趣饯欷椁颏膜胜巴肪?蓼蔷Aいている。これはかつて柧kまでつながっていた回送線の跡であり、将来として再び柧kと結ばれる予定である。なお、これらの線路につながっているのは5 - 9番線であり、10 - 12番線と地平ホームの各線は行き止まりである。なお、下の図では反映されていないが、行き止まりとなっている10番線と11番線の先端(最後尾)部は両ホームを結ぶ通路となっており、平面移動ができる。
柋毙聨志?弦榜k開業時(1985年)の在来線の配線図を以下に示す。1999年に18番線は廃止されたが、基本的にはこの配線が踏襲されている。
← 柧┓矫?/td> | → 大宮?取手方面 | |
出典:祖田(2006) 52頁 水色 : 京浜柋本?br />黄緑 : 山手線 橙 : 柋北揪?熊嚲?ǜ咂榫?⑸闲旁椒矫妞蚝啵?br />青 : 常磐線 |
発車ベル?メロディ[]
13?16?17番線でを使用する他はすべてを使用している。山手線で発車ベルを使用している駅は当駅とのみである。5 - 10番線(まれに地平ホームでも)では発車ベルの後に出発指示合図のブザーが鳴動する。なお、13番線についてはから発車メロディに変更されており、『』が採用されている。
五ツ星広場[]
寝台特急列車が発着する13番線ホームには、寝台特急が到着するまでの待ち時間の際に休憩所として利用できる「五ツ星広場」がある(寝台特急の乗客以外も利用可能)。開設当初はテーブルが設置され、オープンカフェ風の雰囲気を持っていた。2011年時点ではスペースを大幅に縮小し、のみが置かれた南北2箇所のエリアに分割されている。北側エリアの壁は13番線から発着する「」で使用されるの車体を意識して作られており、同系列の車体に配されているものと同一の5色のラインが配されている。 五ツ星広場で迷惑行為があったために、2012年8月25日から、利用可能時間が制限される。すなわち、寝台列車発車の約1時間前から列車の発車まで利用可能であり、利用時間は、15時00分 - 16時20分 カシオペア(運転日に限る)、17時50分 - 19時03分 、20時00分 - 21時15分 である。これら以外の時間は、伸縮門扉によって閉鎖される。これにともなって15番線と16番線との間、の歌碑の横にベンチが2脚、設置された。
柧━幞去?/span>[]
柧━幞去?上野駅 | |
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うえの - Ueno | |
七丁目1-1(銀座線) 柧┒继区三丁目19-6(日比谷線) | |
(柧━幞去恚?/td> | |
ウエ | |
駅構造 | |
各2面2線(計4面4線) | |
乗降人員 -統計年度- | 211,539人/日 -2013年- |
開業年月日 | (2年) |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | |
○G 16 | |
キロ程 | 2.2km(起点) |
所属路線 | |
駅番号 | ○H 17 |
キロ程 | 5.3km(起点) |
備考 | 両路線同士は改札外連絡 |
銀座線は2面2線を有する。エスカレーターは設置されていないが、ホームから改札口までのエレベーターはホーム浅草方の端に設置されており、また浅草側に改札口からJR連絡階へ通じるエレベーターがある。銀座線には駅の至近にがあるため、に当駅を始発?終着とする電車がある。1987年にホームの拡幅工事が行われ、渋谷方面のホームには、日本最初の地下鉄開業を告知するポスターが煉瓦壁と共に設置されている。
日比谷線は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。出口階段はホームの前後にあるが、ホームから改札口へ通じるエレベーターは中目黒方面が中央に、北千住方面が仲御徒町寄りにある。また、中目黒方面には別に改札口が設置されている。同じくホームから改札口へ通じるエスカレーターは、中目黒方面は北千住寄り、北千住方面は中目黒寄りに設置されている。中目黒方面ホームと改札を結ぶエレベーターには朝ラッシュ時のみ使用する階段が併設されている。ホーム中央には、発車標とは別に電車がどこにいるかをランプで知らせる装置が設置されている。
銀座線の渋谷側改札口から地下の連絡通路を経由して、京成電鉄の京成上野駅、さらに上野中央通り地下駐車場と中央通りの地下連絡通路に接続している。
普通乗車券やで銀座線と日比谷線を乗り換える際には、一旦乗車券が回収されずに出口に戻る乗り換え専用のオレンジ色のを出る必要がある。また、?での乗り換えはどの自動改札機からもタッチできる。いずれも、30分の時間制限がある。
従来あった駅ナカ商業施設「メトロピア」は改装され、「フィット上野」として2009年2月20日に開業した。
売り場と向かい合わせに、柧━幞去恧韦煳锞t合取扱所が設置されている。
駅務管区所在駅であり、上野駅務管区として上野地域、秋葉原地域、茅場町地域を管理する。
のりば[]
銀座線と日比谷線の番線表示は、続き番号ではなく、両線ともに1?2番線である。
両路線ともカーブ上にホームがある。
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
銀座線ホーム | ||
1 | 銀座線 | ?方面 |
2 | 銀座線 | ?方面 |
日比谷線ホーム | ||
1 | 日比谷線 | 銀座??方面 |
2 | 日比谷線 | ?方面 |
駅弁[]
JR駅で販売される主な駅弁は下記のとおり。
利用状況[]
?北西部?北関柗矫妞酥蓖à工胫饕煹缆肪?违咯`ミナル駅であるが、その割には乗車人員は少なく、JR柸毡兢扦务k別乗車人員は第13位である。ただし、改札を通らない乗り換え客は乗降人員には計上されないため、実際としては乗換客で混雑が見られる。平日朝は当駅止まりの宇都宮線?高崎線?常磐線方面から降車後に3?4番線ホームに流れる人の波が絶えず続き、同ホームを発着する山手線?京浜柋本?娷嚖艘粩扭藖\り込む。
山手線と京浜柋本?紊弦啊筋gにおけるラッシュ時の平均乗車率は216(2006年度)という、日本一の混雑区間であったが、2009年度より日本一の混雑区間の座は総武線錦糸町 → 両国間に移った。2014年度(予定)に柋笨k貫線が開業されると、当駅で柧k方面の乗り換えが解消され、同区間の乗車率も180%程度に抑えられると試算されている。
年度別一日平均乗降人員[]
各年度の一日平均乗降人員は下表のとおりである(柧━幞去恧韦撸?/p>
年度 | 営団 / 柧━幞去?/th> | |
---|---|---|
1日平均 乗降人員 | 増加率 | |
1999年(平成11年) | 226,342 | |
2000年(平成12年) | 219,557 | -3.0% |
2001年(平成13年) | 209,567 | -4.5% |
2002年(平成14年) | 205,404 | -2.0% |
2003年(平成15年) | 202,981 | -1.2% |
2004年(平成16年) | 210,121 | 3.5% |
2005年(平成17年) | 207,129 | -1.4% |
2006年(平成18年) | 206,859 | -0.1% |
2007年(平成19年) | 211,749 | 2.4% |
2008年(平成20年) | 213,522 | 0.8% |
2009年(平成21年) | 207,635 | -2.3% |
2010年(平成22年) | 204,449 | -1.5% |
2011年(平成23年) | 201,602 | -1.4% |
2012年(平成24年) | 212,509 | 5.4% |
2013年(平成25年) | 211,539 | -0.5% |
年度別一日平均乗車人員(1880年代 - 1930年代)[]
各年度の一日平均乗車人員は下表のとおりである。
年度 | 日本鉄道 / 国鉄 | 柧┑叵骡煹?/th> |
---|---|---|
1883年(明治16年) | 528 | 未開業 |
1884年(明治17年) | 635 | |
1885年(明治18年) | 566 | |
1886年(明治19年) | 579 | |
1888年(明治21年) | 1,655 | |
1889年(明治22年) | 1,990 | |
1891年(明治24年) | 1,887 | |
1893年(明治26年) | 2,002 | |
1895年(明治28年) | 2,481 | |
1896年(明治29年) | 2,863 | |
1897年(明治30年) | 3,502 | |
1898年(明治31年) | 3,958 | |
1899年(明治32年) | 3,978 | |
1900年(明治33年) | 4,298 | |
1901年(明治34年) | 4,373 | |
1902年(明治35年) | 4,229 | |
1903年(明治36年) | 4,052 | |
1904年(明治37年) | 4,179 | |
1905年(明治38年) | 5,076 | |
1907年(明治40年) | 7,337 | |
1908年(明治41年) | 7,310 | |
1909年(明治42年) | 7,325 | |
1911年(明治44年) | 9,987 | |
1912年(大正元年) | 10,250 | |
1913年(大正 | 2年)10,078 | |
1914年(大正 | 3年)10,748 | |
1915年(大正 | 4年)9,650 | |
1916年(大正 | 5年)11,357 | |
1919年(大正 | 8年)18,608 | |
1920年(大正 | 9年)21,790 | |
1922年(大正11年) | 29,213 | |
1923年(大正12年) | 33,212 | |
1924年(大正13年) | 35,035 | |
1925年(大正14年) | 34,299 | |
1926年(昭和元年) | 35,155 | |
1927年(昭和 | 2年)37,290 | |
1928年(昭和 | 3年)43,519 | 13,584 |
1929年(昭和 | 4年)39,398 | 11,956 |
1930年(昭和 | 5年)33,580 | 8,561 |
1931年(昭和 | 6年)30,976 | 8,347 |
1932年(昭和 | 7年)30,326 | 8,327 |
1933年(昭和 | 8年)31,884 | 7,644 |
1934年(昭和 | 9年)32,662 | 11,166 |
1935年(昭和10年) | 33,039 | 12,620 |
年度別一日平均乗車人員(1953年 - 2000年)[]
年度 | 国鉄 / JR柸毡?/th> | 営団 | |
---|---|---|---|
銀座線 | 日比谷線 | ||
1953年(昭和28年) | 88,169 | 未開業 | |
1954年(昭和29年) | 93,880 | ||
1955年(昭和30年) | 99,196 | ||
1956年(昭和31年) | 104,409 | 23,509 | |
1957年(昭和32年) | 105,830 | 24,527 | |
1958年(昭和33年) | 108,753 | 25,174 | |
1959年(昭和34年) | 115,233 | 29,505 | |
1960年(昭和35年) | 126,742 | 30,617 | 6,656 |
1961年(昭和36年) | 127,495 | 36,099 | 4,333 |
1962年(昭和37年) | 137,716 | 45,952 | 18,692 |
1963年(昭和38年) | 149,958 | 37,557 | 16,826 |
1964年(昭和39年) | 160,820 | 44,833 | 23,784 |
1965年(昭和40年) | 160,204 | 43,637 | 27,556 |
1966年(昭和41年) | 163,538 | 40,536 | 26,251 |
1967年(昭和42年) | 167,358 | 42,894 | 29,549 |
1968年(昭和43年) | 175,062 | 65,373 | 47,633 |
1969年(昭和44年) | 173,364 | 74,023 | 51,163 |
1970年(昭和45年) | 169,951 | 77,964 | 53,493 |
1971年(昭和46年) | 181,489 | 76,732 | 54,555 |
1972年(昭和47年) | 176,186 | 75,066 | 57,419 |
1973年(昭和48年) | 185,496 | 74,255 | 54,838 |
1974年(昭和49年) | 186,732 | 93,329 | |
1975年(昭和50年) | 174,495 | 93,697 | |
1976年(昭和51年) | 172,244 | 53,553 | 38,942 |
1977年(昭和52年) | 165,279 | 54,197 | 39,063 |
1978年(昭和53年) | 163,608 | 53,737 | 38,477 |
1979年(昭和54年) | 162,409 | 55,607 | 38,822 |
1980年(昭和55年) | 161,178 | 57,945 | 39,137 |
1981年(昭和56年) | 158,986 | 59,595 | 39,885 |
1982年(昭和57年) | 154,460 | 59,868 | 39,753 |
1983年(昭和58年) | 154,743 | 59,781 | 41,213 |
1984年(昭和59年) | 157,912 | 62,860 | 42,792 |
1985年(昭和60年) | 171,044 | 64,540 | 42,438 |
1986年(昭和61年) | 169,534 | 66,693 | 44,540 |
1987年(昭和62年) | 170,792 | 70,120 | 45,940 |
1988年(昭和63年) | 224,962 | 73,532 | 49,666 |
1989年(平成元年) | 205,066 | 75,677 | 52,559 |
1990年(平成 | 2年)216,899 | 79,200 | 54,940 |
1991年(平成 | 3年)216,593 | 77,566 | 55,626 |
1992年(平成 | 4年)216,244 | 78,200 | 54,332 |
1993年(平成 | 5年)217,734 | 77,619 | 53,252 |
1994年(平成 | 6年)210,636 | 75,452 | 52,405 |
1995年(平成 | 7年)207,735 | 75,019 | 52,019 |
1996年(平成 | 8年)207,636 | 74,063 | 51,058 |
1997年(平成 | 9年)201,602 | 73,589 | 48,159 |
1998年(平成10年) | 195,482 | 71,699 | 45,918 |
1999年(平成11年) | 195,654 | 68,926 | 44,413 |
2000年(平成12年) | 189,388 | 67,085 | 43,827 |
年度別一日平均乗車人員(2001年以降)[]
年度 | JR柸毡?/th> | 営団 / 柧━幞去?/th> | ||
---|---|---|---|---|
在来線+新幹線 | 新幹線 | 銀座線 | 日比谷線 | |
2001年(平成13年) | 185,661 | 64,595 | 43,419 | |
2002年(平成14年) | 186,147 | 62,647 | 43,340 | |
2003年(平成15年) | 186,401 | 62,462 | 42,484 | |
2004年(平成16年) | 182,196 | 61,438 | 42,074 | |
2005年(平成17年) | 179,978 | 60,510 | 41,449 | |
2006年(平成18年) | 178,007 | 59,997 | 41,575 | |
2007年(平成19年) | 181,099 | 61,464 | 42,519 | |
2008年(平成20年) | 181,244 | 61,907 | 42,153 | |
2009年(平成21年) | 178,413 | 60,452 | 41,008 | |
2010年(平成22年) | 172,306 | 59,655 | 40,586 | |
2011年(平成23年) | 174,832 | 58,781 | 40,118 | |
2012年(平成24年) | 183,611 | 10,696 | ||
2013年(平成25年) | 181,880 | 10,917 |
- 備考
- 利用状況の出典
駅周辺[]
広小路口 (JR) ?4 - 6番出口(柧━幞去恚?/span>[]
浅草口?柹弦翱?(JR) 、1 - 3番出口(柧━幞去恚?/span>[]
入谷口 (JR)[]
公園口 (JR)[]
不忍口(JR) ?京成線連絡通路(柧━幞去恚?/span>[]
バス路線[]
入谷口[]
停留所名:上野駅
以前は柧━钎%亥拴`リゾート行も運行していたが廃止された。
浅草口[]
停留所名:上野駅前(都営)、上野駅(高速バス)
停留所名:上野駅浅草口
停留所名:JR上野駅
浅草口浅草通り沿い[]
停留所名:上野駅
柹弦翱谡押屯à暄丐?/span>[]
停留所名:上野駅前
停留所名:上野駅(降車専用)
不忍口?京成上野駅前[]
停留所名:上野公園山下(都営)、上野駅(栁洌⒕┏缮弦榜k(日立自動車交通、京成他)
停留所名:上野公園(都営)
公園口[]
停留所名:上野駅?上野公園
停留所名:JR上野公園口
上野駅をモチーフにした作品など[]
文学や歌智畏忠挨堑瘪kを扱った有名な作品がいくつかある。
隣の駅[]
- 柸毡韭每外煹?/dt>
- ■柋?山形?秋田?上越?長野新幹線
- - 上野駅 -
- ■宇都宮線?高崎線
- ■快速「ラビット」「アーバン」
- 上野駅 -
- ■通勤快速?■普通
- 上野駅 -
- ■快速「ラビット」「アーバン」
- ■京浜柋本?dl>
- ■快速
- - 上野駅 -
- ■各駅停車
- - 上野駅 -
- ■快速
- 御徒町駅 - 上野駅 - 鶯谷駅
- ■特別快速?■快速
- 上野駅 -
- 柧┑叵骡?/dt>
- 銀座線
- (G 15) - 上野駅 (G 16) - (G 17)
- 日比谷線
- (H 16) - 上野駅 (H 17) - (H 18)
参考文献[]
脚注[]
関連項目[]
外部リンク[]
乗り入れ路線と駅の一覧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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HelpJPEG画像を減色しPNG画像として保存する方法 - Wikipedia
ウィキペディアの記事内で使用されている有益な図や画像のなかには、実際はフォーマットの方が適しているのですが、フォーマットで保存されているものが時々あります。JPEG形式は色が流動的に変化し多段階の色調で表現される写真のような画像に適しています。それに対し、PNGは比較的色数が少なく、色の変化や色の境界がはっきりした国旗?表?地図等の画像に適しています。
そこで、JPEGからPNGへ変換する必要が生じますが、JPEGからPNGへ自動的に変換するだけでは、きれいな画像は作れません。元のJPEGファイルよりも容量が大きく、伽饴浃沥皮筏蓼Δ长趣唷─ⅳ辘蓼埂¥筏贰⑹工Tれているなどがあれば、うまくPNGへの変換ができます。
JPEGからPNGへの自動変換の問題点[]
数千色以上の画像を保存する場合(写真のように、シェードとトーンのきめ細かいグラデーションがあるのが典型的)、JPEGファイルとして保存するのが無難です。JPEGの方法は、自然の景色にあるような階調度と柔らかいエッジを活用することができるので、そういった画像を保存するのに最適です。
一方、PNGは劣化のない圧縮方法を用いており、各ごとに描かれているものを、そのまま正確に保存することができ、グラフや、国旗などの旗、地図、漫画などのような画像を保存するのに非常に適しています。鋭いエッジで、広い範囲にわたり単一な色で描かれている画像に対しての圧縮に最適なのです。
それに加え、PNGフォーマットは非常に汎用的でもあります。PNGを“”モードで保存した場合には、ほとんどの人間の眼で識別できないほど多くの色数が含まれていて、JPEGよりも細かいディテールのある画像を保存することもできます。ただし、True ColorのPNGで保存した場合、そのような画像を保存する最適な圧縮方法ではないため、容量の大き過ぎるファイルになってしまいがちです。
単にJPEGをPNGに自動変換した場合、このようなTrue Color PNGが作成され、サイズの大きなファイルができてしまうことが多いです。そのようなPNGは、アップロードを行う前にしたり、インデックスパレットモードで変換するべきです。ほとんどの画像編集ソフトでは、True Colorモード(「フルカラー」や「」モードとも呼ばれる)からインデックス画像に加工した時に使用する色数を決め、変換することができます。どれくらいの色数を使用するべきかは、画像に依存します。インデックス画像にするには256色以下でなくてはならず、しばしば16色、もしくはそれ以下の色数に指定した方がうまく画像を加工できることがあります。「エラー補正」や「」機能を用いることでよりよい加工ができることもあるでしょう(これらのオプションを使用したくないかもしれませんが)。自分の希望通りの加工ができるまで、何度も試してみるべきです。ツールによっては、ファイル内の色数をカウントする機能もあります。
JPEGで保存してしまった画像をPNGに適するように加工する方法[]
なんらかの理由で国旗のような画像をJPEGファイルとして保存してしまった場合、肉眼でも同じに見えるような近接している色が、不要に含まれてしまっていることが多々ありますが、実際のデータ上はこういった近接している色もすべて異なった色として記録されています。通常のPNGの圧縮方法では、これらの色の相違を必要以上に保持してしまうので、PNGで保存し直しても希望通りにファイルサイズを縮小できない可能性があります。それを防ぐためには、以下に記される方法で、実際に必要としている色数以上を含まないように、確認することが必要です。
ここでは、ビットマップ編集を行う利用者の多くが使用している画像編集ソフト、およびを使用しての変換方法を紹介します。
このような作業を行うことによって、元のJPEG画像よりもファイルサイズが小さく(これにより閲覧者側の画像ダウンロード時間も短縮される)、より鮮明でクリアな画像(JPEGではよくぼやけたエッジとにじみが、本来の色がスムーズである領域に生じてしまうことが多い)へ加工することができるでしょう。
もちろん、グラフィックソフトで16色を指定し保存し直すだけで、上記の作業を短時間で行い、同じ加工結果が得られることもあります。しかし、対象の画像にJPEG圧縮特有の染みやができている場合、色数を指定するだけではうまくいきません。
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